11 ,2009
劇団は予定を1日早めて昨日会場入りした。
着くなり、楽屋テントを立て、生活装備を搬入し
劇場テントの外枠をくみ上げた。
いつものように。
鹿児島公演から水俣公演まで中4日、当初の予定では出水の合宿所に帰り2泊するはずだった。
それを一日早めて会場入りしたのは、旅の感覚を失いたくなかったのだろう。
別府公演を別にすれば、5月13日、山口公演に旅立ってから6ヶ月、まだ劇団の旅は続いているのだ。彼らの芝居はその旅の中にある。
今日、朝から天幕を吊し上げ、舞台を張り、昼前には客席が組み上がった。
午後3時に再び訪れるとラストの曲の稽古をしていた。
夕方6時前にまたまた行くと、舞台ではどいの君とまほちゃんが明かり合わせ、隣の楽屋テントでは当番のあっちゃんが料理を作っていた。他のメンバーは居間のそれぞれの場所でくつろいでいる様子。これも博多と鹿児島で見た風景と同じだ。京都でも山形でも青森でも留萌でも同じだったに違いない。
まったく、テントの外の風景が違うだけで、他には何一つ変わらない日常の中に彼らはいるのだ。
彼らを迎えて非日常の中にいるぼくはその周りで落ち着かない。身体全体がぼーっとしている。この数日間何をして、これから何をしなければいけないのかまったくわからないのだ。前後不覚。
おそらく彼らは、受入のぼくが何もしなくても、いつものようにやってきて、テントを立て、芝居をし、客を満足させ、またテントをたたんで出ていくだろう。
受入と劇団との関係性は、会場と日時を決め、手配をし、宣伝をし、チケットを売り、客を集めるということにある。でもぼくは各地の反応を集めてそれを読んでいるうちに、受入が結ぶ関係先は劇団というよりは芝居そのものにあるのじゃないだろうかと思うようになっている。
まず会場となる場所選びの段階でぼくが考慮したのは、周囲に対する主に音の問題とトイレや駐車場といった客への利便性と、仕切れる空間というものだった。
その結果、海に突き出た半島の木立に囲われたキャンプ場の広場という場所を選んた。
ぼくが観た他の場所、別府にしろ博多にしろ鹿児島にしろ、それらの場所では芝居が進むにつれて、舞台と周囲の空間が音や光や役者や通行人を巻き込んで対立し、浸食し合い、化学反応を起こして発光し、テーマパークのアトラクションの様に観客席ごとイルミネーションの海をクルージングしているような感覚に捕らわれたものだった。
ところが、水俣の会場は見事なまでに静寂と暗闇に包まれて閑かだ。一滴の毒も敵意もない。ただちに犬の舞台は何の抵抗もなくその静寂の中に拡散していくことだろう。
1Kwのハロゲンスポットライトも、みほしちゃんのパフォーマンスも発せられたその瞬間に痕跡もなく吸い取られてしまうかもしれない。
…と書きながら、それはそれで面白いのかもしれないと思い始めている。個々の役者はその虚無とどう対峙するのだろう。うん、これはそんなに悲観することはないのかも、第一、かれらの力量からすれば、それもまた見物になるだろう。
これは芝居を観たあと、聞いてみよう。
そしてもう一つ、受入が結ぶ関係性の相手は町だ。
場所選びで、これはちょっと失敗だったなーと思うことは、水俣の日常に、あのテントを投げ込めなかったことだ。この会場はまったく人っけが無い。外からも見えない。稽古の音も、役者たちの生活も外に漏れ出すこともない。
どくんごのテントは異物だ。博多や鹿児島の街の中ではささいな棘ぐらいの存在かもしれないけれど、数日間なら、その周囲の些細な一角でも痒み位の違和感は抱かせたに違いない。
それが水俣みたいな小さな町の、目立つところに突然現れたらどうだったのだろう、それは集客にはつながらないにしても、見物だったに違いない。水俣市民はどんな反応をしたんだろうなぁ。そのことがほんとに残念だった。
そう、どくんごは芝居をしているときだけが芝居なのではないのだ。客席に座っている人だけが観客ではないのだ。テントを無視して通り過ぎるサラリーマン。立ち止まる散歩車。のぞき込む酔っぱらい。子どもたちにも見せたかったなぁ。
だから、受入はどくんごという役者をどう使うか、どう演技させるかという演出者にもなれるのだ。
ただ恐ろしいもので、近くの漁村では、子どもたちをテントを張っている場に近づけないようにというお達しがまわっているやな噂が。。。(笑)
まぁこれも受入の勤めとして、ちゃんと挨拶してくべきだった。しかしテント芝居、旅役者が未だにこういうイメージだとは、田舎はやっぱり面白いなー。
さて、ツアーの千秋楽を引き受けたからには!っていう気負いと、ちょっと客足がという負い目みたいなのが入り交じったまま朝を迎えるんだろうけど、もう明日はバタバタしない。そう決めた。
水俣公演恒例(過去二回)の餅投げも今回出来そうにないので、開場待ちのお客にぜんざいを作ってふるまおう。
公演中は芝居を観よう。いや、写真を撮るのかなぁ。客席の反応も気になるだろうな(笑)
8年前、最初の水俣公演を引き受けたのは、東京時代の知り合いであるどくんごのみんなに、ぼくの水俣で出会った友人たちを見てもらいたかったのかもしれない。でも今回は水俣のみんなに、どくんごの芝居を見せたかったのだ。一人一人の顔を思う浮かべながら、やっぱり、それが今回受入を引き受けた一番の理由なのだと確信できる。
だから明日はもう、ぼくのお客と一緒にどくんごの芝居を楽しむ。それだけだ。そう決めた。
着くなり、楽屋テントを立て、生活装備を搬入し
劇場テントの外枠をくみ上げた。
いつものように。
鹿児島公演から水俣公演まで中4日、当初の予定では出水の合宿所に帰り2泊するはずだった。
それを一日早めて会場入りしたのは、旅の感覚を失いたくなかったのだろう。
別府公演を別にすれば、5月13日、山口公演に旅立ってから6ヶ月、まだ劇団の旅は続いているのだ。彼らの芝居はその旅の中にある。
今日、朝から天幕を吊し上げ、舞台を張り、昼前には客席が組み上がった。
午後3時に再び訪れるとラストの曲の稽古をしていた。
夕方6時前にまたまた行くと、舞台ではどいの君とまほちゃんが明かり合わせ、隣の楽屋テントでは当番のあっちゃんが料理を作っていた。他のメンバーは居間のそれぞれの場所でくつろいでいる様子。これも博多と鹿児島で見た風景と同じだ。京都でも山形でも青森でも留萌でも同じだったに違いない。
まったく、テントの外の風景が違うだけで、他には何一つ変わらない日常の中に彼らはいるのだ。
彼らを迎えて非日常の中にいるぼくはその周りで落ち着かない。身体全体がぼーっとしている。この数日間何をして、これから何をしなければいけないのかまったくわからないのだ。前後不覚。
おそらく彼らは、受入のぼくが何もしなくても、いつものようにやってきて、テントを立て、芝居をし、客を満足させ、またテントをたたんで出ていくだろう。
受入と劇団との関係性は、会場と日時を決め、手配をし、宣伝をし、チケットを売り、客を集めるということにある。でもぼくは各地の反応を集めてそれを読んでいるうちに、受入が結ぶ関係先は劇団というよりは芝居そのものにあるのじゃないだろうかと思うようになっている。
まず会場となる場所選びの段階でぼくが考慮したのは、周囲に対する主に音の問題とトイレや駐車場といった客への利便性と、仕切れる空間というものだった。
その結果、海に突き出た半島の木立に囲われたキャンプ場の広場という場所を選んた。
ぼくが観た他の場所、別府にしろ博多にしろ鹿児島にしろ、それらの場所では芝居が進むにつれて、舞台と周囲の空間が音や光や役者や通行人を巻き込んで対立し、浸食し合い、化学反応を起こして発光し、テーマパークのアトラクションの様に観客席ごとイルミネーションの海をクルージングしているような感覚に捕らわれたものだった。
ところが、水俣の会場は見事なまでに静寂と暗闇に包まれて閑かだ。一滴の毒も敵意もない。ただちに犬の舞台は何の抵抗もなくその静寂の中に拡散していくことだろう。
1Kwのハロゲンスポットライトも、みほしちゃんのパフォーマンスも発せられたその瞬間に痕跡もなく吸い取られてしまうかもしれない。
…と書きながら、それはそれで面白いのかもしれないと思い始めている。個々の役者はその虚無とどう対峙するのだろう。うん、これはそんなに悲観することはないのかも、第一、かれらの力量からすれば、それもまた見物になるだろう。
これは芝居を観たあと、聞いてみよう。
そしてもう一つ、受入が結ぶ関係性の相手は町だ。
場所選びで、これはちょっと失敗だったなーと思うことは、水俣の日常に、あのテントを投げ込めなかったことだ。この会場はまったく人っけが無い。外からも見えない。稽古の音も、役者たちの生活も外に漏れ出すこともない。
どくんごのテントは異物だ。博多や鹿児島の街の中ではささいな棘ぐらいの存在かもしれないけれど、数日間なら、その周囲の些細な一角でも痒み位の違和感は抱かせたに違いない。
それが水俣みたいな小さな町の、目立つところに突然現れたらどうだったのだろう、それは集客にはつながらないにしても、見物だったに違いない。水俣市民はどんな反応をしたんだろうなぁ。そのことがほんとに残念だった。
そう、どくんごは芝居をしているときだけが芝居なのではないのだ。客席に座っている人だけが観客ではないのだ。テントを無視して通り過ぎるサラリーマン。立ち止まる散歩車。のぞき込む酔っぱらい。子どもたちにも見せたかったなぁ。
だから、受入はどくんごという役者をどう使うか、どう演技させるかという演出者にもなれるのだ。
ただ恐ろしいもので、近くの漁村では、子どもたちをテントを張っている場に近づけないようにというお達しがまわっているやな噂が。。。(笑)
まぁこれも受入の勤めとして、ちゃんと挨拶してくべきだった。しかしテント芝居、旅役者が未だにこういうイメージだとは、田舎はやっぱり面白いなー。
さて、ツアーの千秋楽を引き受けたからには!っていう気負いと、ちょっと客足がという負い目みたいなのが入り交じったまま朝を迎えるんだろうけど、もう明日はバタバタしない。そう決めた。
水俣公演恒例(過去二回)の餅投げも今回出来そうにないので、開場待ちのお客にぜんざいを作ってふるまおう。
公演中は芝居を観よう。いや、写真を撮るのかなぁ。客席の反応も気になるだろうな(笑)
8年前、最初の水俣公演を引き受けたのは、東京時代の知り合いであるどくんごのみんなに、ぼくの水俣で出会った友人たちを見てもらいたかったのかもしれない。でも今回は水俣のみんなに、どくんごの芝居を見せたかったのだ。一人一人の顔を思う浮かべながら、やっぱり、それが今回受入を引き受けた一番の理由なのだと確信できる。
だから明日はもう、ぼくのお客と一緒にどくんごの芝居を楽しむ。それだけだ。そう決めた。
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